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壮絶で、決して忘れられない一年になりました。
皆様、どうぞ健やかで。

よいお年を。

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祖母が2009年11月10日に倒れ、俺は何度か仙台から大槌へ帰っていた。
そして、当時、弟がひじきの煮物を好んで食べていたので、俺が作って食べさせた。
 
惣菜で買うよりも美味しいと、俺の料理の腕を褒めていたことを覚えている。
 
年が明けた2010年1月上旬。
祖母の葬式を終え、仙台へ帰るために釜石駅までクルマで送ったもらったのが、弟と直接顔を合わせた最後だった。
 
直近では、俺がボストン出張のためにパスポートを取得する必要があり、弟に戸籍抄本を取って送ってもらった。
そして、なれない海外での生活で調子を崩さないよう気を使ってくれた。
そのやり取りが本当の最後になった。
 
・・・どんなに恐ろしかったのだろう。
と、考えてしまう。
 
せめて母と同じ墓に入れてあげたいと思っているが、それも難しそうだ。
それが残念で仕方ない。
明日から普通に出社することになる。
 
正直、それどころでは無いのだが現場はそれを許すことはなく、只々過去の出来事のようにこの震災を扱っていることに悲しい気持ちを持たずにはいられない。
故郷が消えたに等しい状況を受け入れ、処理できるまでには時間がかかるものだと思う。
 
家の事、父の事、弟の事、子供の事。
俺に処理し切れる簡単な問題では無く、何かを天秤にかけてその重さを測りながら選択し、それぞれの問題に対して答えを導き出さなければならない。
 
そもそも人生とはそのようなものなのかもしれないが、現時点でこれが難局であることは確かだ。
 
■家
 聞いていた通り、外観は留めていた。
 しかし、実家の上に位置する向かいの家の2階部分が津波によって折れ、実家の玄関部分に逆さになり突き刺さっているという状況。
 その高さまで津波が来たことを想像すると非常に恐ろしい光景だ。
 高さ10mは超えていると思われるし、20mあってもおかしくない。
 実家は、土台ごと50㎝程度動いており、2階床も抜けている。とても住める状態ではない。
 すぐ隣の家は跡形もなく流されていたが、実家の場合は、鉄骨造りであるため柱が折れず、そのため外観を留めていたと考えられる。
 中途半端に残っているため取り壊しをする手間がかかるが、アルバム等が回収できたことは幸いだったかもしれない。
 
■父
 叔母の家に避難している。
 叔母の家は釜石市小川町にあり、そこは釜石市でも山側に位置しているため、津波の被害が無い場所である。
 先日の余震で一時ライフラインが途絶えたが、現在は復旧している模様で震災がなかったかのように普通に住むことができる。
 しばらくお世話になるが、それ以降どうするか答えがでていない。
 父は難しいタイプの人間で、親戚一同から良く思われていない。
 僕は、そんな父のようになってはいけないと母や祖母から言われ続け、実際、父には近づけられずに育った。
 だからどんな人間なのかよくわかっていなかったが、ようやくわかりだしたのが約10年前に母が急死してからだ。
 これだけでも普通の家庭じゃないことを理解しているのだが、育った環境を変えるのはそう簡単なことではない。
 祖父、母、祖母の死と家族が減るたびに父とはぶつかっていた。
 特に母が死んでからの父との事で思い出したくない出来事もある。
 しかし、血のつながりはとても強く、それが僕を苦しめる理由でもある。
 父を僕が面倒みることになったらどうなるか簡単に予想できる。
 だからと言ってどうすれば良いのだろうか。家族は僕だけなのだからどうにかしなければいけない。
 
■弟
 いまだ消息不明。
 この状況で生きている可能性はほぼ無い。
 せめてクルマや遺留品が見つかってくれれば良いのだが、津波を受けた場所によっては見つかる可能性も低そうだ。
 何故なら、震災後に発生したガス爆発による火災でだいぶ焼失しているからだ。
 また、広範囲に遺体確認をしたが、弟らしき遺体は確認されなかった。
 今後も遺体確認を進める必要があるが、この確認作業で気が滅入ってくる。
 説明するまでもないだろうが、ダメージの大きい遺体は目を背けたくなるからだ。しかし見なければ確認できない。
 
 千葉に帰ってくると、遺体確認ができなくなるがかといって向こうに居続けるわけにもいかない。
 父に頼めばよいと簡単に言われるが、うちの事情を知らないからそいう言えるわけで、普通なら簡単かもしれないが難しいことだ。
 かといって事情をわかってもらおうとは思わない。決してわかるわけがないから。
 問題を突き詰めて、原因を見つけ、それに合った対処をすれば良いという考えはわかる。
 それをあたかも物の本質を理解しているかのように言われることにあきれてしまう。
 そんな簡単なら悩んだりしないし、うまくやっていこうと思っているのは他の誰でもなく俺自身なのだから。
 できるならそんなこと既にやっているよ。
 
■子供
 僕が父であるということを元妻が息子に話した。
 息子は今年で12歳になるが、この微妙な年頃にこの震災による悲しみと、突然現れた父の存在等で気持ちが不安定になっているらしい。
 息子の家でも、祖父と叔父が津波の犠牲になっている。
 
 息子は普段よりも口数が多く、夜はお母さんにくっついたまま離れないそうだ。
 あきらかにおかしいと元妻が言っていた。
 
 そして元妻は、僕を頼っている。間違いなくそうだ。
 それを嫌とは思わず、僕にできることはしてあげようと思っている。
 しかし、いまの僕の生活と天秤にかけてしまう。
 離婚してから10年経つ。
 血のつながりはとても強い。だから子供との関係は今後も良好であって欲しいと願う。
 また一緒に住むという選択は、今の僕にはできない。
 ここに正しい答えは無いと思う。
 結局、何を選択するかは、人の生き方であり、考え方によって生き方も多様に存在する。
 つまり幸せの形が人によって違うということだ。
 
 大槌に行っているときに、息子を連れて遠野市にある銭湯に行ってきた。
 一緒にお風呂に入るなんて、息子がまだヨチヨチ歩きの頃以来だ。
 とても嬉しかったし、可愛かった。
 
 元妻は大槌を離れたがっている。
 関東圏への引っ越しを勧めているが、俺が責任を持てるわけもなく軽々しく言えることではない。
 
このような状態だ。
悩む。
 
あと、被災地の中でも津波による被害が多い所と、そうでは無い所の格差が非常に大きい。
クルマで30分も進むだけで別世界だもの。

この震災はまだ終わっていない。
被災地ではまだ苦しい生活が続いている。
被災地から離れている人たちは、このことを意識してほしい。

 
 友達の遺体が見つかったと聞いた。
 
地震後に、交際していた相方と一緒に車で釜石方面へ避難したという情報があったが、それ以降の消息が不明になっていた。
 
遺体が見つかった状況はわからないが、すでに遺体安置所に収容されており、近日中に火葬が行われれるそうだ。
 
一緒に避難していた相方も遺体が見つかっており、本日、火葬が行われたそうだ。
 
…つい先ほどは、友達のお兄さんらしき遺体が見つかったと連絡が入った。
その人は大槌町内に住んでいたのだが、津波以来、消息不明だった。
遺体は海上で発見され、そのままヘリで仙台のグランディ21へ搬送されたそうだ。
明日、友達の家族がグランディに行って確認をするらしい。
その家族は、お父さんもまだ消息不明だ。
 
…被災地では、物資も安定しつつあるようだがまだ普通に暮らせる状態ではない。
しかし、この辺はどうだろう。
 
あたりまえのように店が開いていて食事をすることもでき、ガソリンだってほとんど並ぶことなく手に入る。
 
こちらに入ると、感覚がおかしくなる。
こんな暮らしをしていていいのだろうか。。。と考えるようになるからだ。
 
向こうに行き来出来る状況にある僕としては、どちらも知っているだけに辛いことが多々ある。
 
近々、また大槌に入って弟の情報確認や、実家の片づけ等をしてこようと思っている。
 
…もし、被災者のために何かしたいと考えているなら募金をしてほしい。

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