明日から普通に出社することになる。
正直、それどころでは無いのだが現場はそれを許すことはなく、只々過去の出来事のようにこの震災を扱っていることに悲しい気持ちを持たずにはいられない。
故郷が消えたに等しい状況を受け入れ、処理できるまでには時間がかかるものだと思う。
家の事、父の事、弟の事、子供の事。
俺に処理し切れる簡単な問題では無く、何かを天秤にかけてその重さを測りながら選択し、それぞれの問題に対して答えを導き出さなければならない。
そもそも人生とはそのようなものなのかもしれないが、現時点でこれが難局であることは確かだ。
■家
聞いていた通り、外観は留めていた。
しかし、実家の上に位置する向かいの家の2階部分が津波によって折れ、実家の玄関部分に逆さになり突き刺さっているという状況。
その高さまで津波が来たことを想像すると非常に恐ろしい光景だ。
高さ10mは超えていると思われるし、20mあってもおかしくない。
実家は、土台ごと50㎝程度動いており、2階床も抜けている。とても住める状態ではない。
すぐ隣の家は跡形もなく流されていたが、実家の場合は、鉄骨造りであるため柱が折れず、そのため外観を留めていたと考えられる。
中途半端に残っているため取り壊しをする手間がかかるが、アルバム等が回収できたことは幸いだったかもしれない。
■父
叔母の家に避難している。
叔母の家は釜石市小川町にあり、そこは釜石市でも山側に位置しているため、津波の被害が無い場所である。
先日の余震で一時ライフラインが途絶えたが、現在は復旧している模様で震災がなかったかのように普通に住むことができる。
しばらくお世話になるが、それ以降どうするか答えがでていない。
父は難しいタイプの人間で、親戚一同から良く思われていない。
僕は、そんな父のようになってはいけないと母や祖母から言われ続け、実際、父には近づけられずに育った。
だからどんな人間なのかよくわかっていなかったが、ようやくわかりだしたのが約10年前に母が急死してからだ。
これだけでも普通の家庭じゃないことを理解しているのだが、育った環境を変えるのはそう簡単なことではない。
祖父、母、祖母の死と家族が減るたびに父とはぶつかっていた。
特に母が死んでからの父との事で思い出したくない出来事もある。
しかし、血のつながりはとても強く、それが僕を苦しめる理由でもある。
父を僕が面倒みることになったらどうなるか簡単に予想できる。
だからと言ってどうすれば良いのだろうか。家族は僕だけなのだからどうにかしなければいけない。
■弟
いまだ消息不明。
この状況で生きている可能性はほぼ無い。
せめてクルマや遺留品が見つかってくれれば良いのだが、津波を受けた場所によっては見つかる可能性も低そうだ。
何故なら、震災後に発生したガス爆発による火災でだいぶ焼失しているからだ。
また、広範囲に遺体確認をしたが、弟らしき遺体は確認されなかった。
今後も遺体確認を進める必要があるが、この確認作業で気が滅入ってくる。
説明するまでもないだろうが、ダメージの大きい遺体は目を背けたくなるからだ。しかし見なければ確認できない。
千葉に帰ってくると、遺体確認ができなくなるがかといって向こうに居続けるわけにもいかない。
父に頼めばよいと簡単に言われるが、うちの事情を知らないからそいう言えるわけで、普通なら簡単かもしれないが難しいことだ。
かといって事情をわかってもらおうとは思わない。決してわかるわけがないから。
問題を突き詰めて、原因を見つけ、それに合った対処をすれば良いという考えはわかる。
それをあたかも物の本質を理解しているかのように言われることにあきれてしまう。
そんな簡単なら悩んだりしないし、うまくやっていこうと思っているのは他の誰でもなく俺自身なのだから。
できるならそんなこと既にやっているよ。
■子供
僕が父であるということを元妻が息子に話した。
息子は今年で12歳になるが、この微妙な年頃にこの震災による悲しみと、突然現れた父の存在等で気持ちが不安定になっているらしい。
息子の家でも、祖父と叔父が津波の犠牲になっている。
息子は普段よりも口数が多く、夜はお母さんにくっついたまま離れないそうだ。
あきらかにおかしいと元妻が言っていた。
そして元妻は、僕を頼っている。間違いなくそうだ。
それを嫌とは思わず、僕にできることはしてあげようと思っている。
しかし、いまの僕の生活と天秤にかけてしまう。
離婚してから10年経つ。
血のつながりはとても強い。だから子供との関係は今後も良好であって欲しいと願う。
また一緒に住むという選択は、今の僕にはできない。
ここに正しい答えは無いと思う。
結局、何を選択するかは、人の生き方であり、考え方によって生き方も多様に存在する。
つまり幸せの形が人によって違うということだ。
大槌に行っているときに、息子を連れて遠野市にある銭湯に行ってきた。
一緒にお風呂に入るなんて、息子がまだヨチヨチ歩きの頃以来だ。
とても嬉しかったし、可愛かった。
元妻は大槌を離れたがっている。
関東圏への引っ越しを勧めているが、俺が責任を持てるわけもなく軽々しく言えることではない。
このような状態だ。
悩む。
あと、被災地の中でも津波による被害が多い所と、そうでは無い所の格差が非常に大きい。
クルマで30分も進むだけで別世界だもの。 この震災はまだ終わっていない。 被災地ではまだ苦しい生活が続いている。 被災地から離れている人たちは、このことを意識してほしい。 PR
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